「精神」 と 「身 体」 。このどちらが大事なのか? そして、どちらを先に鍛えるべきか?
人間が生きていく上での根源的な問題として、2500年も前から考え続けられてきたテーマだ。
これまで哲学者たちが、この問いにどう答えて来たのか? 4つの時 代に分けて整理してみる。
① 古代ギリシアの時 代 (哲学が始まった時 代)
プラトンは 「精神を修練しておけば身 体は健全になる」、アリストテレスは 「身 体鍛練は人間形成を伴うべき」 と、両人とも身 体と精神の相関性について論じた。この点は要注目。
② 宗教時 代 (ギリシア末期から中世)
人 々は魂や神に目を向けるようになり、人間の身 体を蔑視するような身 体観が現れる。
古代ギリシア時 代とは正反 対の、精神と身 体は別々に独立したものという考えが広まった。
日 本でも吉田兼好 (1283~1352)が 「病なく身強き人を友達にしてはいけない」 と主 張した。
③ ルネッサンス・近世 (15世紀以降)
再び、健康で逞しいギリシア的人間がクローズアップされるようになる。
当 時の思想家、ルソー、ロックらは 「精神と身 体の両方を同 時に鍛錬すべし」 と主 張した。
多くのスポーツの原型ができあがったのが、18世紀後半のことである。
④ 明治時 代以降
日 本は欧米の知・徳・体の理論を導 入するものの、知育に重 点が置かれる状況が続く。
スポーツで人間形成を目 指す教育が始まるのは戦後になってからだが、
その成果が上がっているとは言えないのが現状だ。
身 体運 動が必ずしも人間を成長させるわけではないし、近年の勝利至上主義や商業主義の台頭は、精神と身 体の二極化という、予期せぬ現象を引き起こしている。
ここで注目してもらいたいのが、この、精神と身 体の二極化。
これは、ネットやスマホの出現も大きく関与しているのだが、それが何をもたらしたか?
身 体の感覚は薄れ、精神が注目されるようになり、「心 身 相 関」 という観 点が抜けていく。
そしてこの傾 向は、哲学者、文筆家、文芸評論家といった人たちに、顕著に表れる。
最近読んだ 「スマホ時 代の哲学」 (谷川嘉浩著、ディスカバー選書) が、まさにそう。
スマホ使用が人間に及ぼす悪影響を列挙し、それを解決するための方 法が具 体 的に提 示してあるが、
身 体に全く目を向けておらず、単なる精神論に終わっているきらいがある。
前に紹介した三宅香帆さんの本も、心 身 相 関という観 点が抜け落ちていたが、
この 「スマホ時 代の哲学」 のカバーに三宅さんが絶賛コメントを寄せていたのは、
ある意味、示唆的である。
最初の問題に戻ろう。 「精神」 と 「身 体」。大事なのはどっち?
いま見てきたように、古代の正解が中世では間違いになり、近代になってまた正解に変わる。
この矛盾した状況を、受け容れることから始めないといけない。
「人間はいくら考えても真実に到達しない、そもそも答えはない」 と、厭世的気分で受け容れるか?
それとも 「答えはたくさんあるわけよ。どっちでもいいじゃん」 と、退廃的気分で受け容れるか?
さ~あ、どっち・・・? 私は、後者を取りたい。その理由は・・・
後者は、正反 対の考えを自分の中で併存させるということになり、
異質な人間も受け容れられるようになるし、ストレス耐性も大きくなっていく。
スマホで常時接続の世界に入り込んだとしても、集 中 力、想像力、共感力が衰えるということはない。
さてここで、最も共感するのはどの時 代の考え方か? この問いかけに対する回答を与えよう。
私の場 合ははっきりしている。ルネッサンス・中世の 「精神と身 体を別々にしてはいけない」 という主 張、これが一 番しっくりくる。
もちろん、身 体と精神のどちらに重きを置くかは、状況により異なる。
そして、一 方に偏らないようバランスを取る、ということを前提にした上での話だ。
やはり 「心 身 相 関」 が大 前 提なのである。
と、ここまで書いたところで・・・ディスプレイを覗き、この原稿を読んでいたゼミの女子学生が、
「先生、なんかこの頃、イヤミな表現が増えてません?」 と、言ってきた。
自分でもそう思っていたので 「確かに」 と答えたのだが、そういう性 格なんだから仕 方がない。
これからも、批判的・攻撃的文章を綴ってしまうだろう。
ま~そのときは、Dr.友末は、答を1つに決めようとしていない・・・
どちらが正しくてどちらが間 違っているという、狭い考えは持っていない・・・
そんなふうに柔らかく受け流してもらえると、すごく嬉しいです。はっは~っ (笑)

私の好きな哲学者、ニーチェ (1844~1900) と、スピノザ (1632~1677)。
この2人は 「神様なんておらん。人間みな死ぬんだから人 生に意味はない」 と言いながら、
「じゃ~、どうでも良い」 ではなく 「だから、人 生は面白い」 という考え方を提 示した。
高校の倫理の授業のとき、このような論理展開があることに驚き、感 動したのを覚えている。
肖像画は、https://ja.wikipedia.org/wiki/フリードリヒ・ニーチェ
https://ja.wikipedia.org/wiki/バールーフ・デ・スピノザ より