コンテンツ

さまざまなおなやみにたいするお役立やくだ情報じょうほう発信はっしんしています。カテゴリを選択せんたくすると、
関連かんれんするコンテンツが表示ひょうじされます。になるコンテンツをチェックしてください。

2006ねん2がつ13にち
大 学 院だいがくいん生だったわたしはデビューから13連勝を飾りプロボクシングの日本にほんフライ級タイトルマッチに初挑戦ちょうせんしました。
大 学 院だいがくいん生がプロボクシングの日本にほんタイトルマッチに挑戦ちょうせんするとことで、おおくのメディアがわたしの動向に注目ちゅうもくし、期待きたいをされていることをヒシヒシとかんじました。様 々さまざま方 々かたがたからサポートを舞 台ぶたい整いあとわたしがこのタイトルマッチに勝つだけ。私 自 身わたしじしんも負けるなんておもってもいないし、勝つことしかかんがえていませんでした。
ですが現じつきびしく結果けっかは僅差の判定はんてい負け。
14試合しあい目にしてはじめて負けと結果けっかに落胆したのをいまでもはっきりおぼえております。
タイトル奪取失敗しっぱいから1ヶ 月かげつ半後の4がつにWBC世界せかいフライ級タイトルマッチをやらないかというオファーがタイから届きました。当時、タイの世界せかいチャンピオンは2桁の防衛ぼうえい記 録きろくっており、私と試合しあいで新記 録きろくを狙っていたとの事でした。
試合しあいはオファーのあった日から1ヶ 月かげつっていた5がつ1にち開催かいさいしかも海外かいがい。また、当 時とうじタイで開催かいさいされた世界せかいタイトルマッチで日ひと勝利しょうりしたことがないという絶対ぜったい的不利な状況じょうきょうでした。
かんがえる期間きかん非 常ひじょうすくなくなやみになやみましたがこんなことはもう2とないのではとおもい、実 体 験じつたいけんを積むためにオファーをけることにしました。ボクシングは階 級かいきゅう制のスポーツでその階 級かいきゅうおうじた体重たいじゅうに合わす必 要ひつようがあります。はじめての敗戦をあじわった2がつ日本にほんイトルマッチ。そのさいおこなった10キロの減量から解放かいほうされていたため、当 時とうじ体重たいじゅうは62キロ程度ていどありました。その体重たいじゅうを1ヵ月弱の期間きかんにフライ級リミットである50.8キロまで落とさないといけない。
試合しあいおこなわれる。5がつ1にちの1週間しゅうかん前にはタイに入国しておかないといけないとのことで、約3週間しゅうかん程度ていどで減量をほぼ完了させ、タイ国に入国する準備じゅんびをしました。これまで様 々さまざまなことを経験けいけんくるしいこともかなしいこともおおくありました。そんな経験けいけんなかでもこの減量が群を抜いてにきびしく過酷かこくでした。今現在げんざい減量をえる苦労はまったないです。わたしは通算で30試合しあいたたかってきたためそんな減量を30かいやってきました。30かいの減量のなかでも1ばんきつかったのがこの世界タイトルマッチでした。フラフラになりながらタイに入国。食事しょくじ、ましてや水もおもうように飲めない。ボクシングの計量は前日おこなわれ、4がつ30にち公開こうかい計量でなんとかリミットの50.8キロまで落とし試合しあいをする権利けんりを得ました。
試合しあいはチャンピオンのつよさが際立っており、減量を失敗しっぱいしたわたしは言うまでもなく完敗でした。
タイに滞在した1週間しゅうかんべること飲む事はできず、ましてや観光なんてできるわけもない。今かんがえれば世界せかいタイトルができたと事は非 常ひじょう経験けいけんでしたが、それ以外いがいなにたのしい事はありませんでした。
あれから19ねん月日つきひち、試合しあいではなく観光でタイにくことになりました。
4がつ後半こうはんのタイは入国するや否や、非 常ひじょうあつい。よくこんなところ試合しあいをやったなぁと自分じぶんを褒めてやりたくなりました。そのとき出来なかったことを今回こんかいのタイではおもう存分おこなってたのしい時をすことができました。タイという国は非 常ひじょうに住みやすく場 所ばしょ印象いんしょうけました。機会きかいがあればまたおこなってみたいものです。
サワディカップ!



苦労したさきにはかならあかるい未来みらいがある。
あきらめずにみんなで協 力きょうりょくしましょう。

ハルモニ@ホーム!

やるど^_^