大 学 内
のコンビニの支払いが、自動釣銭機になった。
お札を入れるとお釣りがすぐに出て来て、昼休みの混雑緩和にもつながっている。
ところが、私はあまり恩恵を感じられない。
なぜかというと、小銭を少なくするための「足し算」という作業が生じ、
逆に時 間が長くなってしまうからだ。
たとえば、合計金額が459円のとき。
1000円札を入れると、お釣りは541円、とすぐに表 示される。
でも、私はその時 点で「清算」と書いてあるタッチパネルを押さない。
財布の中に小銭がどのくらいあるか、という確認の作業が始まる。
もし、1円玉や5円玉がいっぱいあったら、1円4個と5円1個取り出し、合計9円ほど投入する。
すると表 示は、550円に変わる。
さらに、10円玉がいっぱいあるときは5枚投入し、600円という切りの良い数字にする。
こんなふうに、お釣りが100円玉になるよう「足し算」を繰り返す。
持っていた小銭の組み合わせによっては、うまく行かないこともある。
小銭を入れているうちに「あれっ?1円足りんじゃん・・」となったとき、
1000円札を追加投入したりすると、小銭の量が莫大に増える。
自動釣銭機によっては、お釣りではなく合計金額しか表 示してくれない場 合があるが、
足し算を間 違ったりすると、硬貨がどんどん出てきたりする。
ま~でも、だいたいはうまくいくわけで、そのときは破れそうな小銭入れがすっきりするし、
気分もすっきりしてくる。
ところがこの良い気分、後ろに並んでいる学生には全く伝わらない。
「早くして~」というような顔をしながら、無言で急かしてくる。
そりゃそうだろう。学生たちは一瞬のうちに、スマホでピッと会計を済ます。
これが5秒で済んだとして、私が30秒かかっていたら、6倍も長いことになる。
そんなわけで、私はレジで前の人がのろのろしていても、あまり気にならない。
お年寄りが財布の中からスローモーションで硬貨を取り出し、
きれいに並べて数えておられるときなど、「おひとりでお買い物、ごくろうさま~」と、
そぞろに眺めている。
しかし、限度はある。店員さんと世 間話しなど始めたりされたら、
「後ろで待っとるのが分からんのか。早よせんかい」と、急にイライラする。
さて、この人を急かす、人に急かされるという感覚。
最近はいろんな場面で出くわすようになったが、だいたいはそのうち慣れることが多い。
一 方で、これが人の行動ではなく自分。
つまり「自分はこうあるべき」と自分を急かすという感覚になると、
慣れてしまわないほうがよい。
もちろん、この感覚が自 分 自 身を向上させることもあるので、全否定はしない。
しかし、ときには「在るがままでいいじゃん」と、急かす感覚を捨て去るくらいでないと、
ココロとカラダに疲労が蓄積する。
その点で、ひきこもりの人たち。そんな疲れとは無縁のように見える。
①心の赴くまま行き当たりばったり
②立派な自分になることに執着しない
③自分のワクワクすることだけをする
④ときには喪失と向き合うこともできる
ひきこもりの人の特徴をこう表現してみると、
いつも急き立てられている日本 人にとって、必 要なことばかりじゃないですか!
そもそも人間、いつまでも向上し続けることなんて、できるわけがない。
若い頃
にこう思ったことは一度もないが、70に近づいた今、とてもそんな風には思えない。
果てしない競争社会から降り、自分を急かす必 要のない空間に身を置く・・・
それは、退歩ではなく進歩だと考えたい。