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 Dr.友末のゼミ風景ふうけいよみもの

コラムだい35かい「グレーで質がたかい空間」

いまから10ねんちょっと前、50さいぎたころからですかね。
同窓会どうそうかいやOB会の案内あんないが、たくさん届くようになりました。
私 自 身わたしじしんたり出なかったりで、出席率しゅっせきりつはあまりい方ではありませんが、
色々いろいろ観察かんさつしていると、仲間なかまが集う会の熱 心ねっしんさには、3段階だんかいあることに気 付きづきました。

 

つよい・・・活発で、会合はしょっちゅう開かれる。
②普通・・・おおきな盛り上がりはないが、萎んでしまうこともない。
よわい・・・おもしたように会が開かれ、音頭をひとがいなくなると消滅する。

 

この①に当たるのが、かつての大学だいがく運 動うんどう部のOB会でした。
「です」ではなく「でした」と過 去 形かこけいにしたのは、OB会もコロナの影響えいきょうをもろにけ、
いまでは②と③の中間になっているからです。この状況じょうきょうを、どのようにとらえたらよいのか?

 

コロナの影響えいきょうきずっている・・・?
そんなことよりも、便 利べんりになれば忙しくなる、情報じょうほうえるとストレスがえるという、
なかの衰退サイクルにはまりんでしまったから、とわたしかんがえます。

 

そのおおきな要因よういんとして挙げられるのが、わたしたちの学生がくせい時代じだいには無かったネットやスマホ。
そうした便 利べんりな機器が、ゆとりある空間、質のたか時 間じかんを、隅に追いやってしまったのです。
こういう見方みかたをすると、OB会活動かつどうが萎んだのは時代じだいながれだ、ということになります。

 

これは、ただたん運 動うんどう活動かつどうに限る話ではありません。
ネットやスマホの出現は、大学だいがく全 体ぜんたい雰 囲 気ふんいきおおきくえてしまいました。
学生がくせいは学修時 間じかんを増やすことがもとめられ、自分じぶんのやりたいことに時 間じかんを割きにくくなる。
教員きょういんは休講にしたら、その都 度つど補講をしなければならない。
いま日本にほん大学だいがくには、グレーゾーンという清濁せいだくあわせ呑む寛容な空間は、存在そんざいしないのです。

 

わたし学生がくせいの頃のように、授業じゅぎょうに出なくても単位たんいれたというのは問題もんだいであるにしても、
いまのようながんじがらめの空間、質のひくい空間で、人が育っていくのか?
文科省は大学だいがくに細かい規則きそくけてるだけだし、
本 人ほんにんのパワーは今後こんごすこしずつ、弱まってくようながします。

 

さて、はなしを戻します。OB会や同窓会どうそうかいの熱意。何番を目 指めざすべきか?

 

質のたかい空間といっても、それは自 然しぜんしょうじるのであって、
無理むりしてつくげようとしてできるものではありません。
また、①の会の質がたかいかというと、かならずしもそうではなく、
一部いちぶひとだけが熱 心ねっしんになったりすると、軋轢あつれきしょうじます。

 

そして、①の会のメンバーが発 散はっさんしている「いつもひとかかわっていたいという感覚かんかく」。
これはどうなんでしょうかね~?
この感覚かんかくは、引退後もその組織そしきかおつづけているひとたちからよく伝わってるのですが、
すくなくとも良好りょうこう精神せいしん状態じょうたいだとはえない」とわたしおもいます。
なぜなら、精 神 力せいしんりょくつよいのは、一 人ひとりなにもしないでもきてけるひとだ、かんがえるからです。

 

人間にんげん関係かんけいは、べったりではなく、あっさりでよい。
OB会、同窓会どうそうかい、仲良し会、パーティには、あまり参加さんかしない。
「〇〇さんとはもうわない」とめる。
こういう選 択 肢せんたくしも、周囲に惑わされないような精 神 力せいしんりょくをつけるというてんでは、捨てたものではありません。

 

こういていくと、ひきこもりのひとたち。
おおくのひとかかわらなくてもきてけるというてんでは、精 神 力せいしんりょくつよいと見 做みなせます。
よわいからひきこもってしまった、という単純たんじゅんな話ではありません。
もし、きこもっている場 所ばしょ居 心 地いここちいなら、無理むりして外にるのは止めましょう。
エネルギー不足のときにジタバタするのは、心 身しんしん相関という観点からもよろしくない。

 

しかし、間 違まちがえないでしいのは、その居 心 地いここちさも程度ていど問題もんだいだということ。
あまりに良すぎると規律がくなり、空間の質が下がっていくからです。
身 近みぢか環境かんきょう「まぁ、なんとなく居 心 地いここちいかな」というくらいが、ちょうどい。

 

 

いまから20ねんほど前、地元じもと広島ひろしま開催かいさいした「広島ひろしま国際こくさい女子じょしオープン」。外 国がいこく選手せんしゅもたくさん参加さんかしたレベルのたか大会たいかいです。運営うんえいはボランティアが主体で、わたしはディレクターを担当たんとうしました。大会たいかい大学だいがく授業じゅぎょう期間きかんかさなりましたが、様 々さまざま業務ぎょうむ余裕よゆうおこなえました。いまはネットとスマホで当 時とうじより各段に便 利べんりですが、大学だいがくはというと細かい仕事しごとばかりがえ、社 会 的しゃかいてき活動かつどうちかられようとおもってもとても無理むり・・・という状況じょうきょうです。