AIの登場で、世界は大きく変化したかのように見える。
スポーツの分 野でも、戦術の分析や、コンディションの管理など、選手のパフォーマンス向上に大きく貢献するだろう・・・そんな論調の記事ばかりだ。
しかし、私は、懐疑的な目で見ている。
なぜなら、スポーツ選手の指導というものは、科学だけではない、
経験や勘、そして、ときにはムダな作業も必 要になるからだ。
ムダと言っても、すぐに結果に繋げようとしないだけで、
「必 要な停 滞」と言い換えた方が良いかも知れない。
実 際はムダではなかったということに、後で気 付かせる。
こんなことが、AIに出 来るわけがない。
スポーツ選手を指導していると、勘で判断することはよくある。
この選手が次の大会で勝つために1つだけアドバイスするとしたら、何を言えばよいか?
技術なのか、体 力なのか、心理なのか、戦術なのか・・・
そのすべてを把握した上で、科 学 的知識も用いながら「これだ!」と最も効果的なアドバイスを提 示する。それがいつも上手に行えるのが「名コーチ」だ。
一 方で、指 導 者から見て「これだ!」というアドバイスが浮かんだとしても、
わざと何も言わない、ということも有り得る。選手に自 分 自 身で答えを見つけてもらう。
その方がはるかに、応用能力、緊急時の対処能力が付いてくるからだ。
そんな懐の広い指導を、AIが出 来るとは思えない。
1つの技術を獲 得するために、長時 間の繰り返し作業が必 要になるのは、
何もスポーツに限ることではない。
身 体で理解できたこと、体感を通して会得したこと。
それが、重要な場面での「ひらめき」を正解に近づけていく。
ひきこもり対策にしてもそうだ。
もう今は「無理して学 校に行かなくてよい」という考えが浸透しつつあるようだが、
その後はどうするのか・・・?
そういう問題になると、まだまだ経験・勘・ひらめきの世界のような気がする。
個人個人、対 応 策が異なることは間違いないし、
かと言って「様 子を見ましょう」「待ちましょう」では解決にはつながるとは思えないし、
干渉し過ぎず、放任しすぎずの、ちょうど良い対応とはどのようなものなのか?
勘だけで判断するのも心もとないので、ここはあまりAIを敵に回さず、
一般論としての回答くらいは、提 示してもらっておくのも良いかも知れませんね。
テニス講 習 会で、「重い」ボール、「伸びる」ボールを打つ方 法を実演中の筆者。
ボールの速度や回転数の変化をAIの力を使って分析すれば、ボールが「重い」「軽い」「伸びる」「死んでる」というような感覚的な用語の意味が、明 確になるかも知れない。