私のゼミには、欧米の福祉・障害に対する考え方を学ぶ、という授業が1コマある。
学生たちは 「日本と外 国の福祉が違うの?」 と訝しがるが、
日本の福祉は、保護する、援助するという感じだが、欧米はそこに留まらない。
できる所はさせて伸ばし、保護や援助を必 要としない状態にまで回 復させようとする。
こんな大きな文化的相違があることを確認した上で、
「どっちが良い、悪いじゃない。両 方の良い所を取り入れる方 法を考えてもらう」 と話すと、
半分くらいの学生が納 得してくれる。
しかしこのテーマ。実 際に授業を始めてみると、ほぼ全員が意見を述べて来る。
ここでは議論が白熱する部分を、3つほど紹介しておく。
1つ目は、障害の表記。
英語だとhandicap とか disaible が直訳だが、欧米ではそんな否定的な用語は使わない。
神様から特別な使命を与えられた者という意味で challengingという語を使ったり、
障 害 者スポーツは適応性 (Adaptation) を高めるという意味で、Adapted Sports
と表 示する。ホント、すばらしい言い換えだと思いません?
こんなことは、日 本 語では不 可 能。
せいぜい、『障がい』 と害の字を平仮名に置き換えるくらいなのだが、ここで議論が始まる。
「そういう配慮は少なくとも必 要。朝日新聞でも平仮名だし、中学の時に先生に言われた」 と、
賛成意見が出て来たかと思うと、
「害という漢字を騒ぎたてる方が、よほど差別意識が強い。表記よりも気 持ちが大事」
と反 対する学生が出て来る。
話がまとまらないので、「どう思う?」 と障害のある学生に尋ねると、
「表記よりも制度のことを考えて欲しい。そんな細かいこといちいち気にしていられない」
とピシャッと言われ、反 対意見に落ち着く。
2つ目は、障 害 者にどう声を掛けるかという問題。
欧米のスタンスは、はっきりしている。「助けを求めていないときは、放っておく」 のだ。
しかし、ここは 『保護する・援助する』 の日本。真 似する必 要はない。あなたはどうする?
と問いかけると・・・
声を掛けたら怒られた、というような苦い経験がある学生が、すぐにノーと言う。
そもそも、障害をマイナスと思ったり、可哀そうと思うのは失礼。
気遣いは必 要だけど、過度になってはいけない・・・と。
一 方で、イエスと答える学生。同情が不要なのは分かるけど、無視したり突き放すのはよくない。
「何か手 伝えることはありますか?」 とちゃんと目を見て尋ねたらよい、と力を込める。
これもまとまりそうにないので、私の体験を持ち出す。
もう20年以上アストラムラインで通ってるけど、席を譲ろうとして何回断られたことか。
でも、気を悪くされても関係ない。そんときは 「あっ、よろしかったですか」 と言って、
またすぐ座ることにしている。
と言うと、声を掛けないよりは掛けたほうが良いのかな、
という気になってくれる学生がいるので、次のようにまとめる。
声を掛けた方が良いと思うけど、自 然にさりげなくできるかどうかだよね。
欧米の人たちは、これが上手い。障害ということに対してあまり構えていないというか、
障害者が自立できるような距 離感覚がある。
日 本 人は親切だけど、おせっかいになったり、助けてあげるというような、
上から目線になるからいけない。本 人の尊厳ということも、考える必 要がある。
3点目は、フジの24時間TV。障 害 者とタレントが長い距 離を一緒に走るというやつ。
これも賛 否 両 論になる。
欧米では障 害 者スポーツの番組がたくさんあるのに、日本は地上波ではあまり流れない。
24時間TVは障 害 者の理解に繫がるし、出たい人もいるみたいだから、別にいいんじゃない。
と、肯 定 的に捉える学生がいる反面・・・
良いことをしてあげるという雰 囲 気がイヤ。障 害 者を弱者と見ていて全然よくない。
と、真っ向から反 対する者もいる。
私の意見はどちらかというと後者寄りだが、この授業は答を出すのが目 的ではないので、
「色んな考え方があるよね。賛成も反 対もあって当 然」 と明 確には答えないようにしている。
この授業の最 後では、アメリカの障 害 児教育の状況を紹介して締めくくる。
以下は、ニューヨークで障 害 児を育てて日本に戻ってきたお母さん (専門学 校の授業で出 会いました) のレポートを要約したものだ。
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私の娘は重 度の障害がありましたが、アメリカでは障害のある子は優先的に教育を受けることが出来ます。娘が2歳になると専 門 家が自宅に来て、セラピーをしてくれました。3歳のときには 「スペシャルニーズクラス」 というスクールに入り、タッチパネル式の最先端の教育を受けました。5人の子どもを7人の先生がサポートしてくれる、という手厚い教育です。日本に帰って来たとき、目の前が真っ暗になりました。保育園、習い事、すべて断られました。理由は、他の子に迷惑がかかるから。障 害 児専門のスクールはあるのですが、親の送迎が必 要です。日本では障害を持つ子の親は、仕事に就くことをあきらめざるを得ません。私がいま専門学 校で学んでいるのは、介護福祉の資格を取り、障害を持つ子のお母さんたちに、 「自分の人 生をあきらめて欲しくない」 と伝えたいからです。私がいなくなった後も、娘が幸せに暮らすことが出 来る社会になるよう、活動を続けていきたいです。
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日本も今は、欧米の福祉の考え方を採り入れようとしているのだが、
このような話を伺うと、欧米の福祉は遥か先に行っているような気がする。
これについては、全員が同意見。
ひきこもり対策とかフードバンクなども含めた福祉に関連する予算を、
欧米並みに大幅に増額すべきではないか。まずは広 島 県から・・・というような
行政に対する注文も出て来た。
「バリアフリーの街、広島」、「人にやさしい広 島 県」、「笑 顔が広がる広 島 県」・・・
私のコピーはセンスがないが、 「住みやすい広島」 というイメージが定着すると、
県外に転 出していく人、大幅に減ること間違いない!