中広大悟の笑う門には福来たる、「スポーツを通して」(11月22日)、読みましたか?
良いこと、書いておられますよ。
「意欲や活 動 性を低下させないよう、日々運動しましょう。散歩でもいい・・・」
ホント、そのとおりだと思います。
運動生 理 学の分野では、昔から次のように言われてきました。
「人間は、石器時代の生活に適したように、進化してきた」
「食べ物を得るために、集団で動き回るのが、人間の自 然の姿だ」
機 械 化・省 力 化が進んだ現在、動き回るというと、スポーツが思い浮かびます。
でも、中広さんが書かれていたように、散歩でも、旅行でもいいのです。
そして、移動することを「ゆ~っくり」と、行ってもらいたいのです。
散歩の場合だと、立ち止まって草花を眺めてみる、風を感じてみる。
旅行の場合だと、飛 行 機ではなく夜 行 列 車にする。
車のときは、とときどき高速から降りてみる。ナビを付けないで目的地に向かってみる。
それは時間がかかり、効率が悪く、不便かも知れません。
しかし、だからこそ新しい発見があり、記憶に残る移動になるのです。
移動すること自体が楽しくなったら、しめたもの。
その楽しさの先にある「幸 福 感」が、見えて来るでしょう。
そんなことあるのか・・・と、思うかも知れませんが、
本能的に移動が好きで、新しい体験を求めているのが人間です。
このように考えていくと、コロナ禍で注目された「仮想現実」。
たとえば、画 面 上でも1人で旅行ができるというやつ。
もちろん良い面はありますが、ひきこもりや孤独の根本的解決になるとは思えません。
そこには、集団での「移動」と「運動」という、人間が本能的に好む要素が含まれていないからです。もし、そういう環境に安住してしまったらどうなるか?
人間の心身の進歩は止まるどころか、退化していくのではないでしょうか。
私たちは、昔の生活様式に戻ることはできません。
しかし、「このままでいいのか?」と、今の生活を見直してみる必要はありそうです。
スマホをやめてみるのも、その一つの手ですね。
かく言う私、スマホを持ったことがありません。

過酷な極限の世界、南極に生きるペンギン。つまずいても、転んでも、ケガをしても、
ただひたすらベストを尽くして歩き続ける。